指揮者紹介

 

定成 誠一郎

 

 東京芸術大学卒業。1969年東京都交響楽団に入団。1981~82年にかけて文化庁在外研修員としてアメリカ留学し、以降は都響打楽器首席奏者として活躍。2005年3月末日をもって定年退職し、現在は後進の育成に励む。

 当団立ち上げの年、私たちは志賀高原のホテルを借りて合宿を行った。練習回数の少なさを補うためと、総仕上げの意味も含めて集中的な合奏の機会を設けたのだった。
 しかし内容は散々だった。参加人数が少ないことを差し引いても、総仕上げからはほど遠いものだった。練習場を沈鬱なムードが支配していた。それでも、そんなオンボロオーケストラを指揮する定成誠一郎氏は、団員に無理にムチ打つわけでなく、あくまで丁寧に、誠実にはたらきかけていた。「運命」の2楽章の、あの雲間から光が射すようなフレーズを歌うことができない団員たちを、しょうがねえなぁ、と苦笑いを見せながらも常にプラスのメンタリティで引きつけ、音楽を創りだそうとする試みは辛抱強く続けられた。

 根っからの酒徒だ。所属していた東京都交響楽団が毎年作る楽団員プロフィールには、毎年必ず趣味の欄に「お酒」と記されてあった。どうせ飲むのなら合奏のときのムードを引きずっていなければいいのだが、と思いながら酒盛りの会場に近づくうち、それがまったく余計な心配だったことに気付いた。酒席から大勢のバカ笑いが聞こえてきたからだ。合宿に来ていた団員のメンバーは全員が互いに顔見知りなわけではないので、ひとりひとりの自己紹介が行われていた。盛り上がりは上々だ。全員の自己紹介が終わる頃、すでに先生は出来あがっていた。
 いよいよ俺の番かとビールの入ったグラスを手に立ち上がる。数え切れないほどの舞台と酒の席での挨拶をこなしてきたのだろう、さすがに堂々としている。「こんばんは、定成誠一郎です。ええ、今、とても幸せです」。歓声と拍手の渦。継ぎ足される酒、酒。この人にはとにかく酒がよく似合う。

 2005年3月に年間在籍した東京都交響楽団を退団した。私が見た最後の演奏会は去年の月、マーラーの「巨人」だった。この曲の1楽章の終わりにはティンパニのドソロがある。楽章の終わりのD の音を叩いた瞬間、奏者は思わずティンパニに覆い被さるようにして振動を止めた。それは「すばらしい出来でやりとげた」者の姿ではなく、「なんとかうまく演奏した」姿だった。九死に一生を得た気配がこちらまで伝わって来た。指揮者が棒を下ろし、会場が息をつくまで、ひと呼吸すらできなかった。そんな身を切るような音のやりとりをずっと続けてきた男の指揮に、わたしたちは今日、うまく応えることができるだろうか。
 先月の練習のあと。「今日は疲れたよ、ここに来る前に新日(本フィル)で本番があったから」と、彼は言った。都響を退団した後も、エキストラとして舞台に立っているということをこのとき知った。「現役バリバリっすね。」「おうよ。」不敵な笑み。

定成誠一郎と私たちの、音をめぐる長い旅は終わらない。